全年齢の初期流産率は10~15%と高く、もともとの染色体の異常で現代の医学では防ぎようがない。
そのことは最初から理解していたので、もしそうなっても絶対に自分や何かを責めることはしないと決めていたし、まだこの段階では喜ばないようにしていた。
さらに私は「子は親を選んで生まれてくる論」とは意見が合わない。
だって日本で虐待死する子が、中東で飢餓に飢える子が、スラムで物乞いする子が、自らの意志でそこに生まれたなんてあんまりじゃないかと思うからだ。
また子を授からなかった親たちが「選ばれなかった」とも思わない。
そもそも人が、もっと言うと生物が生まれてくることに意味などない。
むかーしむかしビッグなバンのあと流れ流れてたまたま存在しているだけだ。
それくらいワタシスーパードライな人間なので、流産と分かったときも「どうして私が?
」とか「まさかそんな!
」とか全く思わなかった。
知人にも何人も経験者はいて、私の人生に一度は起きると思っていたし、最初から成功するとは思っていなかった。
(ちなみに3組に1組?と言われる離婚もそんなに高い確率なら防ぎようがないんじゃないかと思っているし、2人に1人のガンなんてほぼ確実だと思っている)
赤ちゃんや妊婦さんを見ても全く辛くないし、相変わらず赤子は可愛くオモロイと思う。
そもそもエコーでも黒い点しか見えなかったので、「宿った命・・・!」感もゼロで黒い穴…という感じだった。
さらに胎嚢の成長が遅かったこと、出血や腹痛があったことから察しはついていて覚悟も出来ていた。
なので流産と診断された当日は主人に、「分かっていたからそんなに悲しくはない」と言った。
それは本心だったし、お腹だってすくし仕事だって出来るし普段と変わらない生活が送れた。
流産診断後に最初に仕事に行った夜、相変わらずの残業に備え19時ごろコンビニに肉まんを買いに行った。
肉まんは香りがあるので自席では食べずらく外のベンチに座った。
猫舌の私は肉まんが冷めるのを待っていて、その時ふと思った。
産みたかったな…。
そう思うと涙が止めどなく溢れた。
「悲しい」というより「さみしい」
痛かったり苦しかったり不安だったり色々あったけど、楽しかった。
雑誌の付録のマタニティマークをつけた時のなんとも言えない不思議なくすぐったい気持ち。
祖父母にひ孫の顔を見せられそうと安心したこと。
両親の喜ぶ顔を想像したこと。
友達や武井咲ちゃんの赤ちゃんと同級生だなーと思ったこと←
○月には産休入れる!というのを励みに働いたこと←
二人で名前を考えたこと
主人が妊娠事情をどんどん勉強して「茶おり」とか言い出して驚いたこと
私が雑誌に載ってる母子手帳ケース高いから安いのでいい、と言ったら主人が「リサラーソン?可愛いね!僕が買っちゃうかも!」とか言ってたこと
「けいちゃんのベリーペイントは僕が描くよ!コナンとか描く!」とか言っていたこと
コナンって←
※別に二人ともコナンが好きなわけではない
ワタシスーパードライでも
分かってても
理解してても
どうしようもなく
辛いなー
しょうがないけど
やっぱり
しんどいもんだなー
肉まんの柔らかさがやけに泣けてくる
ふわふわあったかいそれが、心を溶かしていく
牛丼に続き泣きながら完食。
泣きはらした目でオフィスに戻ったが、皆PCを見てるから全然気付かれない。
そんな風に、電車に乗ってるとき駅から家まで歩いてるとき、家でソファに座っているとき突然ブワッと波が来て4回ほど泣いた。
泣くのは笑うのに匹敵するデトックスらしいので、泣くときは景気よく泣くことにしている。