引っ越しを終え荷解きも済んだので、ずっとやりたかったことを始めた。
それは三月から実家の為に動くこと。
もう4年ほど前になるか、父の会社で働いていて一年ほどたってから祖母が倒れた。
骨髄異型性症候群、といって血液を作り出せないらしく月に2回輸血が必要になった。
輸血はゆっくりと入れるので2時間ほどかかり、大学病院なので待ち時間が長く9時頃から15時ごろまでの長丁場になる。
父や叔父は仕事があるし、叔母や母は運転が出来ないので仕事という扱いで私が付き添った。
当時私は大した仕事をしていなかったし、母や叔母からすると姑にあたる祖母と6時間もずっと一緒に付き添わせるのは負担が大きいだろうなと思ったからだ。
祖母は何かにつけ文句を言うし、さらに血管が細く見つけずらいので何度も輸血の針を指し直したりして痛々しい。
自分の身体の不安や、痛み、思うように動かないもどかしさは祖母をさらに攻撃的にさせたし、弱気にさせた。
さらに病院では当たり前だが多くの病人が苦しそうにしているので気が滅入る。
受け流すことが出来ない母には危険だと思っていた。
嫁の立場と孫の立場は違う。
そんな生活が2年ほど続き、婚約と同時に転職した。
父の会社は繁忙期はかなり帰宅が遅くなるので家事は出来ないし、もともと父も身内の会社にずっといることなく外に出ろと言っていた。
主人との新生活が始まり、気がかりだったのは祖母のこととその世話をする母のこと。
転職したので、祖母の通院は母と叔母が行うことになった。
祖母がそのころ結核で入院した。
いや正しくは非結核性抗酸菌症と言って、他人にうつすことのない肺の病気である。
しばらくして結核専門の大学病院に転院となった。
そこは実家からかなり遠く、結核患者ばかりで祖母は非結核性なので行かなくて本来は良かったらしくすぐに戻ってきた。
間違いだったらしい。
そののち祖母は退院となったが、輸血は月に2回から毎週になった。
通院が倍になり、恐れていたことが起きる。