高砂の前に呼ばれて、手紙を新郎→新婦と読む予定でした。
しかし、スタッフの方が持っているのは両方私の手紙…。
内容が両親用、主人両親用と分かれていたので読み終わった便箋を二つの封筒に入れて…ていうのが手間取るだろうな、とあらかじめコピーをとっておいてコピーした物を読むつもりでした。
スタッフの方は、封筒に入っているのとコピーのものが別物だと思ったんですね。
(さらに泣いて読めなくなったときの為に、もう一部コピーを司会者に渡してある)
つまり新郎の手紙がない!
「私が先に読むので、その間に探してください」と伝えました。
ここは私が間をつないでみせる!という花嫁らしからぬ使命感。
そして花嫁の手紙は始まります…。
「お父さんへ この冬はおばあちゃんの入退院やお母さんの体調不良で大変でしたね。
仕事をしながら三食用意して家事をしていたし、自分の大切な人が苦しんでいる姿を見るのは何よりも辛いものです。
何年か前の雪の日、二人で雪かきをしていて「ほら!雪たるまで来たぞ!」と言うので「楽しそうだね」と返すと
「大変な事こそ楽しむんだ」と言っていましたね。私もそうやって生きていきたいです。
今は摂生して鍛えているけど、その緊張感が切れたときが怖いので是非続けて下さい」
と、いうのような事を。父の看病を労いたかったのと、たまには良い事いうと思った話をしました。←
「お母さんへ いつか身長を追い越すと思っていたのに、未だ10センチ以上差が埋まりせん。
今日は15センチヒールで参戦です。
背が高くて、勉強家で力持ち。 似ていると全く言われない私達ですが、誰かの役に立ちたいという気持ちは母譲りです。
ひとつ謝ることがあります。
大学進学と同時に1人暮らしを始めてから、ほとんど連絡を取りませんでしたね。
それは新生活に忙しかったというよりも、独り立ちしたいという気持ちの表れでした。
親と頻繁に連絡をとるんなんて弱い気がして、自立したいんだと躍起になっていました。
自分の思いを優先して、お母さんの気持ちを考えてなくてごめんなさい。
今は思うんです、会うことも話すことも生きていればこそだと。
これからも喧嘩しながら一緒に生きていきましょう。」
的なことを。
とりあえず母よ、はよ元気になれ。(とは言ってない)
「熊之助さんのお父様お母様
いつも本当の家族のように受け入れて下さってありがとうございます。
母の体調が悪い時には、「何が僕に出来ることはないかな?」と言ってゼリーを買ってきてくれたり
母が「結婚は嬉しいけど寂しい」と言ったときには「僕がもっとお母さんたちと頻繁にあって本物の家族のようになったり、引っ越しを遅らせたりしようか」
といつも私の家族のことを気にかけてくれます。
こんな優しい人はいません。
また、私は物事が複雑化するとすぐにさじを投げたくなるのですが、熊之助さんはそのおざしを全部拾ってくれます。
熊之助さんを産んで下さって、こんなに優しく育てて下さって本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。」
みたいな事を言いました。
主人へのありがとうの気持ちを主人両親への手紙にくっつける時短テク←
マイクを持っていた主人の手がどんどん下がっていく(疲れたらしい)のが非常に腹立たしかったです。
新郎の手紙がどうなったのか気がかりで、一切涙が出ませんでした。
私にもインカムつけて欲しかった←